ボイジャーへの道(翻訳)
以下の文章は、Voyager - The 32nd Anniversary Edition (P1) MODのマニュアルの一部を翻訳したものです。
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Voyager - The 32nd Anniversary Edition (P1)
MOD製作者
Scott Conklin (Usonian)
ここからでは行けない場所へ
1925年、ドイツはエッセン市の土木技師長だったヴァルター・ホーマンは、Die Erreichbarkeit der Himmelskorper(天体への到達可能性)というタイトルの小冊子を出版した。彼はその本のなかで、地球から月へ、あるいはほかの惑星へと到達するための、もっとも必要なエネルギーが小さく経済的な軌道がどういうものであるかを示してみせた。このホーマン遷移軌道とは、出発する惑星と目的地の惑星の2点に接する楕円軌道である。
ヴァルター・ホーマンの研究は、その後30年が経過するまで、何の実用的な価値もなかった。このような問題に取り組む彼の姿は奇異に映ったかもしれないが、ホーマンは土木技師として人々の尊敬を得ており、宇宙についての彼の思索も敬意をもって受け入れられた。ホーマン軌道は軌道力学の重要なトピックとして、今日でも、地球からほかの惑星へと1回の遷移で到達するためのもっとも経済的な方法であり続けている。
1950年代後半、宇宙時代の夜明けがやってきた。アメリカとロシアのエンジニアたちは、低軌道での宇宙船のランデブーや、地球からほかの天体へのフライトにおいて、ホーマン軌道を描くことに没頭していた。遠からず彼らは、いくつかの問題に直面することになった。第1の問題は、ほかの惑星の重力の影響である。とくに目標の惑星それ自体の重力が、ホーマン軌道をかき乱すため、不必要な加速や軌道変更を計算に入れて注意深く修正をおこなう必要があった。もうひとつの、そしてより重大な問題は、太陽系の広大さである。もっとも効率のよいホーマン軌道で、考えられるかぎり巨大なロケットを使っても、木星より遠くの天体に送れるのはごくわずかな重量でしかない。もし仮に、とてつもなく強力なロケットを建造したとしても、海王星までホーマン軌道で行こうとすれば30年もかかってしまう。ロケットのパワーが足りないし、時間がかかりすぎる──外惑星の探査は、まったく現実的でないように思われた。
第2の問題への解決策は、もちろん、第1の問題を応用することだった。
1960年、数学科の大学院生だった25歳のマイケル・A・ミノビッチは、夏期インターンとしてジェット推進研究所に採用された。彼の仕事は、かねて提案されていた金星へのホーマン軌道を検証することだった。この軌道では、金星の重力によって宇宙船の軌道が変化し、地球に戻るようになっていた。(なぜこれが重要なテーマとされたのかはよくわからない。このアイデアの裏で何かの計画が進んでいたのかもしれないし、単に面白いテーマだと思われていただけかもしれない。文献にはそこまで書かれていない。)ミノビッチはこの仕事を済ませると、独自に研究を続け、金星の重力を使ったスイングバイで内惑星すべてに到達できることを発見した。木星の重力を使えば、ミノビッチは宇宙機をすべての外惑星へ、そして太陽系の外へと送り出すことができた。ミノビッチは、地球から木星へ到達できるだけのエネルギーを使って、太陽系のすべての惑星へと向かう道を切り開いた。「ロケットのパワーが足りない」ことは、もはや問題ではなかった。だが依然として、スイングバイを使ったとしても、宇宙機を外惑星から別の外惑星へと送り出し、太陽系のあちこちを旅して回るには数十年の月日が必要だった。
1965年、JPLにまた別の夏期インターンがやってきた。ゲイリー・A・フランドロに与えられた仕事は、無人機を外惑星へと飛ばすための軌道を探し出すことだった。フランドロはミノビッチの研究を調査し、木星を経由して土星に向かう軌道を計算した。彼は、70年代後半に絶好の打ち上げ機会があることを発見した。彼は続いてもうひとつの発見をした。80年代のはじめには、すべての外惑星が太陽の片側に集まり、「グランド・ツアー」が実行できる位置に並んでいた──このような惑星配列は、176年に一度の周期でしか起こらないものだった。
その翌年の1966年に、フランドロはActa Astronauticaという雑誌に論文を発表した。この論文には、すべてのガス惑星を経由し、冥王星をもふくむいくつかの軌道について、数学的詳細とともに書かれていた。彼は打ち上げ窓、探査機の重量、必要なdelta Vを特定し、スイングバイがニュートン力学のエネルギー保存則に反するものでないことを丁寧に論証した。(ボイジャー1号が1979年に木星でスイングバイしたとき、太陽に対しての探査機の速度は秒速13km増加し、木星の速度は1兆年あたり0.3m低下した。これは木星の公転周期がおよそ1ナノ秒短くなったことを意味する。)
1966年12月、JPLの先端研究局の局長だったホーマー・ジョー・スチュアートは、Astronautics and Aeronautics誌に短い記事を書いた。スチュアートの文章は数学や専門用語を省いたわかりやすいもので、ミノビッチとフランドロの名前を挙げて功績を認めることも忘れなかった。この記事はマスコミ、議会、大衆の関心を集めた。1960年代においては、宇宙飛行はまだ目新しくてエキサイティングなものだった。そして、176年に一度のチャンスを利用するというのは、またとなく魅力的なものに思えた。
10年後には、状況はすっかり変わっていた。1970年代半ば、グランド・ツアーのための探査機をデザインし建造するための予算を確保しようというころには、NASAの予算と世間の宇宙飛行に対する関心はどん底の状態にあった。試算されたコストは10億ドルを超えるものであったため、グランド・ツアー・ミッションはキャンセルされ、もっと無難なマリナー木星・土星計画(MJS)にとってかわられることになった。ふたつのMJS探査機は、シンプルなマリナー探査機として議会にかけられた。探査機は太陽電池パネルのかわりに、放射性同位体をもちいた原子力電池を備えることになった。外惑星においては太陽はあまりに遠く、エネルギー源として適切でないからである。当初の計画より縮小されてもなお、木星・土星ミッションはキャンセルされるかどうかの瀬戸際にあった。この状況は打ち上げが迫る時期になっても続いた。
JPLの内部においてさえも、不安定な綱渡りが続いた。上層部は、マリナー木星・土星計画をグランド・ツアーに延長できることについて、公の場での発言を禁じる一方で、MJSの計画責任者たちが延長ミッションのためにより堅牢な探査機を設計しようとするのを黙認した。ジョン・カサーニがマリナー木星・土星計画の責任者になったとき、彼は計画オフィスの電話番号を864-6578に変えることさえした。これは864-MJSU──つまり、「マリナー木星・土星・天王星のために(For Mariner Jupiter-Saturn-Uranus)」を意味していた。JPLの上層部は、しぶしぶながらこの変更を認めた。
1977年2月、打ち上げまで半年という時期になってようやく、NASAは公式に2機目のMJS探査機が天王星へ向かうことを条件つきで承認した。1機目の探査機が土星とその月の観測ミッションを達成すれば、2機目を天王星に向かわせ、ミッションを4年延長してもよいことになった。(海王星をミッションに追加できる見込みはほとんどないと考えられていた。)NASAは計画の名称を変更することも承認し、もはや公然の秘密ではあったが、これは単なるマリナーミッション以上のものであるということも認めた。
こうしてボイジャーは誕生し、グランド・ツアーに向けて不確かな一歩を踏み出すことになった。
探査機
ボイジャーの基本構造は、「バス(Bus)」と呼ばれる10の側面をもつ箱である。それぞれの側面は区切られており、さまざまな電子機器を収納している。バスは球状の燃料タンクを囲むように配置されており、16の姿勢制御スラスター、2つの折りたたみ式ブームと、いくつかのアンテナが取り付けられている。電源は3つの放射性同位体熱電気転換器(RTG)から供給される。これはプルトニウム238の崩壊熱を電気に変えるものである。これらのRTGは、-Y軸方向に伸びる折りたたみ式のブームの先端に取り付けられている。RTGの放射線によって干渉を受けたり損傷したりすることがないように、ほとんどの観測機器は+Y軸方向に伸びるブームの先端に設置されている。
バス、燃料タンク、そしてほとんどの機器は何層にも重ねられた黒い耐熱ブランケットに覆われている。内惑星へと向かう探査機が、太陽熱から身を守るために熱を反射する膜で覆われているのに対して、ボイジャーは熱を吸収して逃がさないように設計されている。一番外側の繊維の層は手で縫い合わされており、黒っぽい探査機を白い縁取りが彩るという特徴的な外見となっている。
探査機が自分の方位を確認する方法はふたつある。ひとつは高利得アンテナに空いた穴に取り付けられた太陽センサーで、もうひとつはスタートラッカーである。スタートラッカーはいくつかの明るい星、とくにカノープスに向けられている。姿勢制御はジャイロスコープと、16基の0.9ニュートン・スラスターによっておこなわれる。スラスターのうち4つはマイナスZ軸方向に取り付けられているが、得られる主推力は最大で3.6ニュートンにすぎない。軌道修正のための噴射が1、2時間続くことも珍しくなかった。
いくつかの観測機器(広角・狭角カメラ、分光計、写真偏光計)はサイエンス・ブームの先端のスキャン・プラットフォームに設置されている。このプラットフォームは、長時間露光で画像が乱れるのを防ぐため回転させることができる。磁力計は13mの長さに伸びるファイバーグラスのトラスの先端に設置されており、探査機そのものの磁場の影響を受けないようになっている。JPLのボイジャーミッションについてのウェブサイトには、10の科学観測機器による11種類の実験について詳しく紹介されている。(参考文献リストを参照すること。)
2機のボイジャー探査機はいずれもタイタンⅢE-セントールロケットによって打ち上げられた。探査機の推進モジュールとしては、サイオコール・スター37E固体ロケットモーターが使われていた。こういう種類の「アポジキックモーター」はスピン安定方式を用いることが多いが、ボイジャーの場合は探査機の燃料タンクから推進モジュールにヒドラジンを供給し、スラスターを使って姿勢制御していた。打ち上げのときには、RTGとサイエンス・ブームは折りたたまれ、推進モジュールと向き合うかたちで固定されていた。RTGとスキャン・プラットフォームがエンジンノズルのすぐ近くに来てしまうため、熱、ガス、微粒子からRTGと観測機器を保護するシールドが追加された。赤外線干渉計・分光計・放射計(MIRIS)の金色の反射板は、分離可能なカバーによって守られていた。
概して窮屈なレイアウトであり、NASAとJPLが同じデザインをふたたび採用することはなかった。
ボイジャー探査機の特徴のなかで、とくに有名なのが「ゴールデンレコード」である。探査機の建造が進むなかで、JPLではあることを訴えるメモが出回っていた。「太陽系外の隣人たちにメッセージを送るための計画がない」ジョン・カサーニの返答は簡潔だった。「メッセージを送れ!」NASAは高名な天文学者のカール・セーガンに助言を求め、セーガンは科学者、音楽家、芸術家からなる委員会を組織した。委員会は画像、音声、音楽、55の言語での声によるあいさつをまとめ、これらはすべて金メッキされたレコードに記録された。レコード(及びカートリッジと針)を収めた金メッキのカバーには再生方法を表すイラストが彫られ、バスに固定された。このカバーには、いくつかのパルサーを基準に太陽系の位置を示す「地図」も彫られていた。
宇宙航行能力のある文明がこのゴールデン・レコードを発見し、内容を理解してくれるというのはありそうもないことだが、これは地球で大人気となり、NASAとボイジャーの広報に大いに貢献することとなった。
参考文献リスト
Voyager Homepage by Jet Propulsion Laboratory
https://voyager.jpl.nasa.gov/
Voyager's Grand Tour: To the Outer Planets and Beyond by Henry C. Dethloff and Ronald A, Schorn,
Smithsonian Books, 2003.
グランド・ツアーとボイジャーの開発の歴史について短くまとめられている。
The Voyager Neptune Travel Guide by Jet Propulsion Laboratory, JPL Publication 89-24, 1989.
JPL/NASAの「一般向け」出版物のなかで最良のもののひとつ。技術的ではあるが読めないほどではない。
https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19900004096_1990004096.pdf(リンク切れ)
Walter Hohmann's Roads in Space by William I. McLaughlin, 1992, appearing in Fall 2000 issue of Journal of
Space Mission Architecture, pp. 1-14.
短いが楽しく読める伝記。
http://www2.jpl.nasa.gov/csmad/journal/issue2/01.pdf
Voyager 0.2 lbf Thruster Valve Assembly Short Pulse Test Report by Rocket Research Corp, Jet Propulsion Laboratory, 1985.
Thruster Options for Microspacecraft, by Juergan Mueller, Jet Propulsion Laboratory, 1997.
Ninfinger Productions Scale Models by Sven Knudsen
at: http://www.ninfinger.org/models/models.html
宇宙船のスケールモデルを作る人のためのウェブサイト。さまざまな情報とリンクがまとめられている。中にはJPLのボイジャーの設計図の画像もある。
http://www.ninfinger.org/models/vault2007/Voyager%20plans/voyager-stitched-post.jpg
翻訳:Nikogori